リフレッシュ!といえば、すぐに温泉に行こうとするmariです、こんにちは!
今日は綱島の湯けむりの庄でのんびりしていたところ、ある友人の訃報を知らせるlineが届いて青天の霹靂にしばらく呆然としていました。
ここ何年かあっていなかったけど、それでも結構付き合いがあった人なので、そんな若くして亡くなるとはなかなか信じられず。
身近な人の訃報に接する度に、生きていることについて考えたりしますが、案外人の死って、厚く遠く隔たっているものではなく、膝の高さの垣根をまたぐような、造作ないものなのかもしれないなーと思いました。
ひょいっと向こうの世界に行ってしまうような。
今月前半まで今は亡き友人のツィッターがつぶやかれてたりするのを見ると、そう思えてなりません。
ここからは信じる人だけ信じてもらえばいい話ですが、私も昔なぜ人は生きているのか気になって、いた時期がありました。私の場合は、シルバーバーチやその他高級霊の通信を著したものに出会い、それらを読んで、自分が納得できる部分を拾い上げてつなげて、たぶん生きるとはこういうことなんだろうなと、結論にたどり着きました。
もう駄目だろうと医者に言われながらも、元気に回復する人もいれば、ふっとあちらの世界に旅立ってしまう人もいる。
人には生まれる前から、大体その人生の概要を知らされているのだとか。もちろん、そんな記憶を持って地上に降りてくる人はごくごくまれにしかいません。そんなこと知っていたら、人生つまらなくなりますからね。
もちろん、がっちりレールのように人生が決まっている人はそんなに多くないようで、多くの人はゆるく大体こんな感じ~ってことみたいです。あなたが地上に降りてこんな感じで生活していけば、こちらの世界に戻ってくる時には、大体このくらいあなたは進歩しているでしょう、と教えられるそうです。その後は生まれてからの個人の努力や心の向上具合によって差が出るわけです。
地上は格好の修業の場で、ある部分では霊界より格段に進歩できる度合いが早いから、地上に降りてきて何かに興じてそのスキルを伸ばしたり、いろいろ苦労したりするのだとか。
そして大体の死期も決まっているんだとか。
これもピンポイントで決まっている人と、大体このあたりの時期、とゆるく決まっている人もいるそうです。ただ例外もいろいろあるようで、地上でした行いの結果、自分で人生の幕引きを早めてしまうこともあったりするようです。ですがそういった例や自分で人生を切り上げてしまわない限りは、大体その定められた時期に天に還っていくのだとか。
だから死ぬということは、本来魂があるべきところに還って行っただけという、さして悲しむべきではない、というか、肉体的苦しみもなく完成された美しい世界に帰っていける喜ぶべきこと……なんですけどね。まあ頭では理解しているつもりなんですが、実際なかなかそうは思えないですよね。
身近だった友人の訃報に接して、
死というものがさほど遠くないところにあるということや、そちらにふっと行くまでに、自分はちゃんと地上でするべき仕事をすることができるのかなーってことをぼんやりと考えておりました。
まあ、自分がすべきことっていうのは、60歳くらいにならないとわからないとかいう話もありますね。わかるといっても明瞭にではなく、自分の人生これをすることが目的だったのかなーとなんとなく思う、みたいな感じっぽいですが。
お迎えが来るまでは、私ももう少し丁寧に自分の心を見つめながら生きていければいいなと思っております。
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