ハワイの太平洋航空博物館では、自国の戦闘機ではなく、ゼロ戦が一番最初に展示されている[ハワイ09]

ハワイの太平洋航空博物館では、自国の戦闘機ではなく、ゼロ戦が一番最初に展示されている[ハワイ09]

太平洋戦争。なかなか日本人が正面切って見ることが少ない歴史ですが、たまにはそういったものに目を向けてみるのはいかがでしょう?彼らの命を懸けた働きがあったからこそ、今の日本があるのですから。

こんにちは!続々とハワイ旅行のカード請求が届いて青ざめているmariです。

それでは、ダイヤモンドヘッドを出たところからの続きになります。

まず一度、ホノルルのツアー会社に行って、荷物を預けます。
パールハーバーのツアーでは、米軍基地の中に入るためセキュリティチェックが厳しくて、ポケットの中に入るものしか持ち込むことができないのです。
ガイドさん曰く、軍認定のツアー会社(審査がすごく厳しくて、認定会社の数は多くないそうです)のツアーから参加する日本人のチェックはこのくらいで済みますが、お隣の大陸の人たちは、もっと厳しいチェックが必要なんだとか。
おそらく、あの国とかあの国とかあの国辺りのことですかね。
ツアー参加していない日本人に対しては、厳しいチェックを受けて認可が下りた観光会社のツアー参加に比べれば、やはりそれ相応のチェックはあるみたいです。

このツアーは人気なようで、ダイヤモンドヘッドに行ったマイクロバスよりさらに大きなバスなのに、満席状態でした。若い人から年配の方まで、年齢層は色々です。
パールハーバーに向かう途中で、ガイドさんが色々とお話ししてくれました。

真珠湾の奇襲に際して、日系人を少しでも巻き込みたくなかった日本軍は、攻撃する前に飛行機を超低空飛行で飛ばしてたそうです。
日本の兵士が、飛行機から頭を出して付近の住人に、
「逃げろ!逃げろ!!」
と叫んでいたそうですが、ガイドの日系二世のおばあさんはそれが聞こえずに、日本のパイロットにむかって
「カッコいい!!」
と、手を振って答えていたそうです。おばあさんは、最初その日本の飛行機を見たはとき、「綺麗なものが飛んでいるなぁ」と思ったんだとか。そのくらい、アメリカはまさか日本軍がハワイまで来て攻撃してこないだろうと、のんびり構えていたようです。

真珠湾の奇襲作戦は、民間人を巻き込むことのない見事なもので(米軍のフレンドリーファイヤーで死亡した民間人はおりましたが)、上空3000mから爆煙で見通しのきかない中、ピンポイントで戦艦アリゾナへ爆弾を落として轟沈させたりと、日本軍の精鋭さを示した戦いになりました。(なぜ上空3000mかというと、そのくらいの高さから爆弾を落とさないと、頑丈な甲板に跳ね返されて、船を貫通できなかったからです)
しかしここで日本軍は、致命的なミスを犯します。
それは、真珠湾のドッグと燃料タンクを破壊しなかったことです。これが無事残っていたことで、アメリカは日本が太平洋の覇権を握る前に建て直せたのです。

そんな話を聞かせてもらううちに、車はパールハーバーの基地に到着しました。
一人の米兵とおぼしきチェック員がバスに乗り込んできて、軽くバスを一巡して怪しいものを持っていないか目視で確認してチェックは終わりました。

基地の中は当然ながら広いです。
あまり行きかう車もなく、たまに人が歩いてたりはします。物々しい雰囲気はなくて、基地の中というより、どこかの町の中にいるような感じです。

そして太平洋航空博物館の、37番格納庫に到着。

37番格納庫の目の前にある管制塔。現在は使われてないそうです。(格納庫じゃないよ)

入口の床には、パールハーバーの空中写真があります。

こちらでは、第二次世界大戦の資料を主に格納してあります。
日本語の翻訳機をもらって、案内の番号に合わせて解説を聞いていきます。

まず入ったところに……
武運を願う日の丸の書き寄せ

最初にいきなりゼロ戦が展示されています。パイロットも展示されていて、どちらも当時のものをそのまま持ってきているそうです。
戦勝国である自分の国の戦闘機を真っ先に持っ展示するのではなく、日本のゼロ戦を一番最初に持ってくるというのは、アメリカがいかに日本の軍隊に対して一目置いていたかということの表れでもあると思います。
いまだにアメリカとガチで殴り合いをした国は、日本以外ありませんからね。

こちらの展示物、アメリカでは飛行可能なゼロ戦は現状二機だけで、これがその一機だそうです。
ゼロ戦だけではなく、このパイロットの来ている服も、当時の物なのだそうです!

このゼロ戦というのは開戦当時は非常に優秀だったみたいですが、そのうちアメリカに色々研究されて弱点が露呈することになるんですよね。

ゼロ戦の横には、どんなふうに日本が攻めてきたのかのパネルがありました。

日本軍がどのくらい民間人を犠牲にせずにフェアに、狙い通りに戦ったかが書かれています。

続いてこちらからはアメリカの戦闘機

 

B-25Bミッチェル爆撃機

この爆撃機は途中まで空母で運ばれて日本を空襲したわけですが、無理に持ってきたものの、大きすぎて空母に帰還できないために、日本を通り過ぎて中国に不時着させる作戦を取ったそうです。

それでこのパネルですが……。
中国 約25万人がアメリカ軍パイロットを助けたという理由で日本軍に殺害される。という記述があります。

は?25万?なんのこっちゃ、聞いたことないなー。と思っていたら、一緒にいた友達が
「これって南京大虐殺のこと?」
と言ってくれたので、あ、そういうことかと理解したわけですが。

ここにも捏造が!
日本人がそんな理由で大虐殺するとかありえないことは、日本人にしかわからないんですかね。他の国ではそういうことが当たり前だから、日本人もそういうことをするんだろうと、そういう考えなのかもしれませんが。

とにかく物資が不足していた日本なのですから、25万人も殺せる武器があったら、それこそ全部対アメリカにつぎ込むだろうというのが、普通の考えじゃないでしょうか。

この記述をそのまま見に来た外国人に本当だと受けてとめられてしまうのは、不本意なことです。
戦時中だから多少の虐殺などはあったようですが、東京大空襲や、広島長崎に原爆を落とし、多くの一般市民を虐殺したアメリカと私たちは違います。
この記述箇所、早く修正されるといいですね。

ステアマンとその翼

展示物はこんな感じでしたが、一つ一つじっくり足を止めて説明を聞いていたら、結構な時間が過ぎてしまいました。

ショップでキャップを購入

速足で37番格納庫から隣の79番格納庫に移動します。

37番から79番に向かう途中にF14トムキャットなどが展示されています。
トムキャットといえばトップガンですよね!

F-14 トムキャット (聞こえるケニー・ロギンスの歌~)
F-104 空飛ぶ棺桶

79番格納庫は37番と趣が違って、こちらは戦闘機がずらりと並べられていて、その解説を聞いて回る感じです。
本当はこちらも全部聞いて回りたかったのですが、集合時刻に間に合いそうにないので、音声ガイドは諦めてぐるりと飛行機見て回りました。
ですのでここは写真のみ……。

あと、こちらの建物の一番奥のガラス窓の部分、弾痕があって、パールバーバーの時のものだそうですので、行かれたらぜひこちらも見るといいと思います。
二つを45分くらいで回ったのですが……もう少し時間がほしいですよね。
色々回るから、仕方ないのですが。

その後バスに戻って戦艦ミズーリまで移動します。

長くなったので、ミズーリとアリゾナに関しては、また次回に。
ミズーリの前には、ミニッツ提督の像があります。東郷平八郎を尊敬していて、日本とは戦いたくなかった彼ですが、皮肉なことに真珠湾攻撃直後に太平洋艦隊司令長官になるように指令が来たのです。

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